普段やっていることを変えるのは、新しいことをやるより何倍も大変だ。長年沁みついた習慣に戻った方が楽で快適なので、すきあらば戻ろうとする。ここを突破するうえでは、適切に絞り込んだ強い問題意識が必要だ。
筆者がこれを体感したのは、先日受けたイタリア人ヴァイオリニストのアルド・カンパニャーリ先生のレッスンだった。マニアックな話で恐縮だが、ヴァイオリンの音は右手に持つ弓の使い方(ボウイング)で決まる。その時々で弓を動かす速さと方向、力のかけ方抜き方を最適化するのは難題だが、アルド先生の助言はたった一つ、「(弦を支える)駒と弓をのせる場所の距離を良い幅にしなさい」。なるほど、この1点に集中することで、逆に、全体のあるべき姿がみえてくる。左右の肩、腕、ひじ、手首、指のどこがどう不適切なのか、身をもってわかってくるのだ。慣れ親しんだ我流のボウイングを脱し、プロの表現力を身につける手がかりがそこにあった。
こんな話をするのは、今話題の「物流統括管理者」の職責に関わる議論が気にかかっているからだ。トラック不足に対応するための法改正で大手荷主に設置が義務づけられた物流統括管理者は、トラックの使い方を変えることに責任を負う。国の法案ではその責務は「荷待ち・荷役時間の短借と積載率の向上」に絞り込まれていた。この絞り込みは重要で、物流を変えるうえで過不足のない、適切な突破口だと思っていた。
ところがその後の議論で、この突破口がなし崩しにひろがっている。11月11日に開催された合同審議会の資料には「(物流統括管理者には)物流の各機能を改善するだけではなく、調達、生産、販売等の物流の各分野を統合して、物資の流通全体の効率化を計画する役割を果たすことを期待する」と書かれている。
筆者はこのような拡張論に強い危惧を覚える。これはヴァイオリンの先生でいえば「(ボウイングの改善には)肩、腕、ひじ、手首、指の全てを最適化しなさい」と指導するようなものだ。生徒は結局、何も変えることができない。
物流統括管理者は、低廉良質なトラック輸送の使い勝手の良さにどっぷりと依存してきたこれまでの物流を変えなければならない。日本の物流の未来のために必要な変革だが、むろん簡単ではない。通り一遍の対策を講じただけでは何も変わらず、いずれ元に戻ってしまうことは目に見えている。
ここにおいて「荷待ち荷役時間と積載率に、一意専心して改善しなさい」というコンサルテーションは、有効で重要だと思う。ここに集中することで、トラックの無駄遣いを生み出す様々な問題の本質が見えてくる。いま必要なのは絞り込みであり、拡張ではない。
Comments